ニイハオ中国(つばめ)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

(第一部:日本語教師つばめの中国人夫との出会い〜結婚)

瀋陽空港で飛行機が遅れ、
困っている私たちを助けてくれた中国人の彼。
ホテル待機中もいろいろ話をして、打ち解けた感じに。

そうこうするうちに、やっと飛行機が瀋陽空港に到着。
遅れた理由は全く分からず。
ともかく私達はホテルから空港に移動。
これでやっと飛行機に乗れるのだ。

と、ところが。

空港に着いた途端、突然大雨が。
それもひどい降りようだ。
とても飛行機は飛べそうにない。

・・・雨は待てど暮らせどやむ気配はない。
pm6:00から夜中の12:00まで空港で待たされたが、
結局その日のフライトは中止となった。

再びホテルに戻された乗客たち。
ここで一泊して、次の日の朝出発することになった。
私達の旅行計画も、大幅変更を余儀なくされた。
でも、それよりなにより、これを機に
私の人生も、大幅変更を余儀なくされることになったのだ。

(第一部:日本語教師つばめの中国人夫との出会い〜結婚)

「あのー、私達の飛行機って、どうなったんでしょうか」

旅慣れた様子で歩くその人に、つたない中国語で
話しかけてみる。

「僕達が乗る予定の飛行機が遅れてて、まだ空港に着かないので
飛行機が来るまで、みんなホテル待機になったんだよ」

彼はそう教えてくれた。そして、

「君たち、外国人?それなら僕が面倒見てあげるよ」

私の中国語の発音を聞いて、すぐ外国人と分かったらしく、
彼がいろいろ世話してくれることに。
イレギュラーなことが多すぎて、対応できるか不安になっていたので、
親切な人に出会えて、ラッキー。

ホテルで待機している間、つたない中国語で
いろいろ話をした。中国に来たいきさつ、仕事のこと、
今回の旅行のこと・・・
彼も私たちに分かるように、ゆっくり話してくれた。

聞けば、彼はとある中国系スポーツメーカーの営業社員で、
今回は北京から瀋陽に出張で来ていて、今から
今度は長沙というところで会議があるので、そちらへ飛ぶらしい。
スポーツウエアを着ていたので、どういう人かなって思ったが、
スーツじゃなくても正真正銘のビジネスマン、
全国飛び回って、忙しそうだ。

ひととおり話が終わると、話すことがなくなった。
ところが、この沈黙が全然気まずくない。
なんか、すーっとなじむ感じなのだ。
なんにも言わずに、窓から外の景色を眺める。
この時間がずーっと続いてほしいと思った。

友達は「ちょっと休む」といって、ベッドに横になったが、
私と彼は、ずっと窓の外を眺めていた。

(第一部:日本語教師つばめの中国人夫との出会い〜結婚)

「●●▲▲■■★★〜〜〜」
うーん、困った、早くて聞き取れないよー。
それは瀋陽空港でのこと。

私は2002年春に日本語教師として、中国は瀋陽に降り立った。
日本で1年間日本語教師として働いた後、
学校から派遣されて、中国・瀋陽のある大学で
日本語を教えることになったのだ。

もともと大学で第二外国語として中国語を勉強したので
中国語の基礎はあったのだが、なにしろそれも遠い昔の話。
また日本語を教えるといっても、中国語で教えるわけではない。
私達日本で資格を取った日本語教師は、
「直接法」といって、「あいうえお」も分からない外国人に
一から日本語で日本語を教える教授法を身につけている。
私も教授法の理論と実践を専門学校で2年間かけて学んだ後、
大阪のとある学校で、日本語教師としてデビューした。

というわけで、ともかく中国語はなんとかサバイバルレベルで
瀋陽に派遣されてきた私。
日常生活は問題ないが、ちょっと難しい中国語は聞き取れない。
それなのに、勤め先の大学が夏休みになった途端、
ウキウキ気分で中国旅行計画を立て、
その日は留学生の友達と2人で、瀋陽空港で
張家界行きの飛行機を待っていた。

ところが。

来ない。
いくら待っても飛行機が来ないのだ。
pm1:00発の飛行機が、3:00になってもまだ来ない。
しばらくすると、中国語のアナウンスが流れ、
周囲の人たちがぞろぞろと一斉に移動を始めた。
わけも分からず人の流れに沿って歩き始めた私達、
不安になって後ろを振り返ると・・・。

そこには全身スポーツウエアに黒のスーツケースを引いて
さっそうと歩くビジネスマン?の姿が。

それが夫との初めての出会いだった。

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